都内の広告代理店で働く三十代の田中さんは、長年、自分の要領の悪さと向き合い続けてきました。周囲の同僚が複数のプロジェクトを軽やかにこなす一方で、田中さんは一つの作業に集中すると他のすべてを忘れてしまい、結果として重要なメールの返信を漏らしたり、会議の時間を勘違いしたりといったミスを繰り返していました。上司からは「もっとやる気を出せ」と言われ、自分でも人一倍努力しているつもりでしたが、どうしても結果が伴わず、次第に自分は社会人として欠陥があるのではないかと追い詰められるようになりました。ある晩、深夜まで残業をしていた田中さんは、ふとスマートフォンの検索窓に「仕事、ミス、わざとじゃない」という言葉を打ち込みました。そこで目にしたのが大人のADHDという概念でした。そこに記載されていた、ケアレスミスの多さ、先延ばし癖、集中力の極端な偏りといった症状のすべてが、まるで自分の履歴書を見ているかのように合致していたのです。半信半疑ながらも、田中さんは翌日、近所にある大人の発達障害を専門に扱うクリニックを予約しました。予約日は三ヶ月後でしたが、その間に彼は自分の子供時代を振り返り始めました。実家の押し入れから見つけ出した通知表には、すべての学年で「落ち着きがない」「忘れ物が多い」という指摘が並んでおり、自分を責め続けてきたミスが、実は幼い頃からの特性の延長線上にあることに気づき始めました。実際の診察当日、担当医は田中さんの話を遮ることなく一時間以上かけて丁寧に聞き取ってくれました。その後の心理検査では、言語的な能力は非常に高い一方で、情報の処理速度や一時的な記憶保持能力であるワーキングメモリが著しく低いという、極端なアンバランスさが浮き彫りになりました。医師から「田中さんは決して怠慢ではありません。脳の特性により、人一倍のエネルギーを使わないと普通のタスクをこなせない状態なのです」と告げられたとき、田中さんの目からは自然と涙が溢れました。診断名は彼にとって、自分を許すための免罪符ではなく、これからどう戦えばいいかを示す戦略書となりました。その後、彼は職場に診断結果を伝え、口頭での指示を必ずメールで残してもらう、騒音をカットするために耳栓の使用を許可してもらうといった具体的な配慮を依頼しました。診断を機に、田中さんは「普通」を演じるのをやめ、自分の凸凹を活かすための工夫を凝らすようになりました。現在は、その高い発想力を活かせる企画制作の分野で、周囲のサポートを受けながら生き生きと働いています。
仕事のミスに悩み続けた男性が心療内科の門を叩くまで